2002年6月19日 午後9時配信
洛中之章 其之壱
神泉苑


 平安京大内裏の南東に広がっていた神泉苑。湿地帯だった地形と豊かな湧き水を利用し、桓武天皇が中国の王宮を真似て造営した庭園である。その面積の大半を占めたのが「神泉」こと放生池(ほうじょういけ)。現在も、二条城の南、押小路通と御池通の間に、この庭園と池の一部が残っているが、平安京当時はこれを遥かに凌ぐ広さだったといい、さまざまな伝説が伝わっている。
 『今昔物語』などでは、この池で起きた東寺・空海と西寺・守敏(じゅびん)の雨乞い呪法比べの話が語られている。朝廷の命で、雨乞いを行い都に雨を降らせた守敏。次は山野にも雨をと、空海が招かれたが、一滴の雨も降らない。守敏の陰謀で、雨を降らせる龍がすべて瓶の中に閉じ込められてしまったせいである。これを知った空海は、天竺の善女龍王を神泉苑の池に勧請し、豪雨を降らせたという。
 『源平盛衰記』には五位鷺の命名由来が記されている。醍醐天皇が神泉苑で釣りや狩をしていた時、ここに一羽の鷺が舞い降りた。醍醐天皇が「あれを捕らえよ」と命じたが、誰も捕まえることができない。鷺に向かって「宣旨(天皇の命令)であるぞ」と叫んだところ、それまで逃げ回っていた鷺がおとなしくひれ伏した。醍醐天皇はこれを感じ入り、この鷺に「五位」の位を与えたという。以降、この種類の鷺は五位鷺とよばれるようになったらしい。
 これらは、かつての栄華を伝える話であるが、平安京の荒廃により、ここもまた魔界と化した。現在も、地元でまことしやかに語られているのは、この池に棲む亀の話。放生池にはその名の通り多くの亀や鯉が放生されているのだが、この中に「白い亀」がいるという。しかし、この白亀、人によってその姿が見える者と見えない者がいるらしい。あなたには、この亀が見えるだろうか。

ところ 神泉苑 (中京区門前町)
交通 市バス「神泉苑前」すぐ
    地下鉄東西線「二条城前駅」徒歩約3分