2002年6月20日 午後3時配信
洛北之章 其之壱
玄武


 京都は風水と方位を司る四神相応の都であった。東の青龍(河川)、西の白虎(大道)、南の朱雀(湖)、北の玄武(山地)が、理想的に配置可能な土地として、平安京の建設が決定された。北に峰々を背負い、南に巨椋池、東に鴨川が流れ、西に山陽道が開発された。この中央に大内裏が造営され、鬼門(北東)の比叡山、神門(北西)の愛宕山に神仏が鎮座するという完全な結界都市を創造したのである。
 しかし、この結界は、自然に、人為的に、さらに都を呪った者たちの魔力によって、徐々に崩れ去った。朱雀こと広大に広がっていた巨椋池の水は枯れ果て、今はその姿を留めていない。青龍こと鴨川は時の流れとともに、うつろい、その形状を変えていく。西へ駆ける白虎こと山陽道は、東海道や国道の開発によって主要幹線の座から降りた。平安京の風水と結界は完全に崩れ去った。大内裏も荒廃し、御所は移転を余儀なくされ、首都は東京へ移った。動かず静かに京を見守ってきたのは、洛北の山々のみ。そして、玄武が残った。
 玄武神社は、大徳寺の南、北大路通と鞍馬口通の間の住宅に囲まれた路地にひっそりと鎮座している。現在の京都の東西の中心からは、やや西寄りの地域だが、平安京当時は、朱雀門のほぼ真北に位置していたと考えられる場所である。鞍馬口はその名の通り、鞍馬山へ向かう出口であり、その門外周辺は紫野と呼ばれた寂しい野原だったのだ。
 玄武は、亀と蛇が一体化した方位神で、商売繁盛の神でもある。しかし、玄武神社の祭神は、帝位をかけた呪術合戦に敗れ、無念と失意を擁きながら洛北の山中に隠棲した惟喬親王。いみじくも「負けるが勝ち」なのか、北の玄武だけが、今もひそかに京の街を見守っている。

ところ 玄武神社 (北区紫野)
交通 市バス「大徳寺前」から
     北大路大宮交差点を南へ徒歩約5分