2002年6月21日 午後7時配信
洛中之章 其之弐
朱雀門


 朱雀門の朱雀とは、四神のひとつで、南の方位を司る極彩色の羽根を持つ鳥であり、水塊(湖沼)の象徴でもある。(※四神相応=「洛北之章其之壱 玄武」参照) 南は平安京の正面玄関であり、宮城(きゅうじょう)の防衛上、最も重要な方位である。平安京の地形は、東西にそれぞれ川が流れ、背後の北側は山地となっているため、敵の攻撃は正面突破しかない。しかし、当時の洛南(現在のJR京都線以南周辺)には、朱雀こと広大な湿地帯が広がっており、巨椋池などの沼地に軍勢を配置することは難しいのだが、さらに、平安京は南側に二つの巨大要塞門を造営していた。都の外門「羅城門」と、大内裏の南門「朱雀門」である。これで、敵からの護りは鉄壁のはずであった。この門に魔物が巣喰うまでは…。
 門は、すなわち結界である。結界を越えることができぬものは、そこで遮断される。遮断されたものは、そこでまごつき、渋滞する。つまり、結界周辺は行き場を失った邪気たちの溜まり場となるのだ。朱雀門は幅47m、奥行き14mの石檀の上に建つ、丹塗白壁の荘厳な楼門で、そこからさらに南の羅城門までは幅70mの朱雀大路が2km以上にわたって真っすぐに延びていたという。朱雀門は、大内裏への迎賓行事や、さまざまな呪術儀式が行なわれた場所でもあったが、火災などで大内裏の中心がずれることによって、この門も荒廃し、結界から魔界へと堕ち、鬼や魔物が棲む場所となったという。
 それでも、中世の伝説を見る限り、宮中の者たちはこの朱雀門の鬼たちと、それなりの交流を深めていたようだ。笛の名手・源博雅は、ある晩、朱雀門の前で笛を吹いていたところ、もうひとり見事な笛を吹く男がいて、気が会い、以後、ここで落ち合い、合奏したり、お互いの笛を交換したりする仲になったという。博雅亡き後、彼の笛は浄蔵という笛の名人の手に渡った。朱雀門前で浄蔵が笛を吹いたところ「博雅より上手いな」と楼上から声があり、その笛が元は鬼のものだったとわかったという。
 中納言・紀長谷雄は、朱雀門楼上で鬼と双六の勝負をしている。勝った長谷雄は、約束によって、鬼が女の死体を寄せ集めてつくった絶世の美女を得た。鬼は、百日経てば、この美女は完全な人間として再び命を持つから、それまで抱くなという。しかし、長谷雄は、あまりの美しさに辛抱できず、この女を抱いてしまった。女は水になって流れてしまったそうだ。
 憎みきれぬ鬼たちの棲んでいたこの門は、永祚元年(989)、荒廃の果てに倒壊し、その後、再び建て直されることはなかった。千本通の二条城駅近くにある小さな石碑が、かつて、ここにその門がそびえていたことを記しているのみである。

ところ 朱雀門址碑(上京区西ノ京)
交通 JR山陰本線(嵯峨野線)
    地下鉄東西線「二条城駅」から千本通を北へ徒歩約2分