2002年6月24日 午後4時配信
洛中之章 其之参
一条戻橋


 これまで地元の人々が生まれた子どもの名前をつけてもらいに行く程度だった小さな神社が、この数年、京都で最も人気がある観光スポットのひとつになった。ご存知、宮廷陰陽師・安倍晴明の屋敷跡に建てられた晴明神社。そこは大内裏の鬼門、堀川に架かる一条戻橋の傍にあり、それより北は葬送の地であった。戻橋の名は、あの世とこの世を行き来する結界という意味に由来しており、この地には数々の幽霊や、鬼、妖怪にまつわる伝説が語り継がれている。
 安倍晴明は必要に応じて鬼をも味方に引き入れる術を心得ていた。中でも十二神将は、晴明の心強い式神だったが、やはり、鬼は鬼であり、晴明の妻をはじめ、人々がその容姿を恐れてしまうので、晴明はこの式神たちを、普段は戻橋の下に隠し住ませたというのは有名な話である。この話には後日談がある。平時忠がこの橋の東で御子が生まれるかどうか占ったところ、12人の子どもが橋の西から現れ「榻(しじ=牛車の踏み台)は何榻、国王榻、八重の潮路の波の寄せ榻」と歌いながら去っていった。時忠は、12人の子どもは十二神将であり、「国王榻」であるから、立派な皇子が生まれるであろうと喜んだが、この帝が檀ノ浦の波に消えるという予言にまで気づくことはなかった。
 前回(「洛北之章其之参 朱雀門」)触れた浄蔵の父は文章(もんじょう)博士・三善清行(みよしきよつら)である。延期18年(918)、清行が亡くなった時、浄蔵は紀伊熊野にいた。訃報を聞いた浄蔵が急いで京に戻って来た時、清行の葬列は戻橋にさしかかっていた。浄蔵が柩に泣きすがったところ、死んだはずの清行が一時蘇生し、父子は言葉を交わしたという。また、京の妖怪ハンター・源頼光の四天王の一人・渡辺綱は、この橋の東詰めで美女に化けた鬼女の腕を切り落としたという。
 そのほかにも数々の伝説が伝わるこの戻橋だが、現在は、交通量の多い堀川通の横にあるコンクリート製の何の変哲もない小さな橋であり、この下の堀川は水も枯れ、川とは名ばかりで水は流れていない。しかし、観光客も、その傍を通る車の量も減る闇の時間帯に訪れてみると、橋沿いの柳の木が風もないのに揺れ動き、橋は不思議な存在感を持って浮かび上って見えた。

ところ 戻橋/晴明神社
交通 市バス「一条戻り橋」すぐ
堀川通東側に戻橋、西側に晴明神社