2002年6月27日 午後9時配信
洛東之章 其之壱
六道の辻


 六道とは輪廻転生する六つの世界「天上道」「修羅道」「人間道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の意味である。梵語の「これらの世界(地)を統括管理するもの」という言葉を漢訳したのが「地蔵」(梵名:クシティガルバ)であり、望まぬ世界に紛れ込んでも、「地蔵」にすがれば救われるという信仰がある。古来、道祖神として町外れに六地蔵を祀るのは、この意味であり、京都市の東南には現在も「六地蔵」という地名が残っている。そして、現在は京都の繁華街に近い地域だが、平安京当時、やはり、東南のはずれだった場所に「六道の辻」は残っている。
 かつての五條通の東の果て、現在の松原通が東大路に突き当たる手前が「六道の辻」である。西洋でも「クロスロード」は悪魔に出会う場所だというが、ここは「六道界のスクランブル交差点」といったところか。数々の寺院跡と、六道珍皇寺、六波羅蜜寺、西福寺が、この辻を挟んで点在している。「六道の辻」の碑は、二つあって、ひとつは西福寺の北東で、松原通を南へ下がると六波羅蜜寺へ行く角にある。もうひとつは、そこから松原通を少し東へ行った六道珍皇寺の山門前にある。しかし、どちらも六本の道が交差しているわけではない。前者は変形の四辻であり、後者は辻とは呼びがたい場所である。
 目には見えぬ道があるといってしまえば、それまでであるが、これには何か意味があるようだ。六道珍皇寺は、空海の師であった慶俊僧都が建立した京都で最も古い寺のひとつで、この周辺の寺院には空海にまつわる話も多い。珍皇寺は、現在は臨済宗建仁寺派に属しているが、かなり密教色の濃い伝統が伝わっている。8月に行なわれる「六道詣り」という精霊迎えの儀式が有名で、ここは「お盆」こと「日本の盂蘭盆会」発祥の地ともいわれている。この精霊迎えの儀式とともに、この寺そのものを「六道の辻」と言わしめるのは、歌人としても名高いのは平安前期の官人・小野篁の伝説である。昼は宮中に出仕し、夜は閻魔宮に赴いたという、数々の奇妙な伝説を残すこの男。彼が冥界への道として使ったという井戸(拝観は要予約)が残っているのだが、篁の伝説はほかの寺院にもあり、現存しないものを含めると伝説の井戸もここだけではない。
 なぜ、ここが「六道の辻」なのか。実は、この地域、ろくろを挽く職人が多く住む町という意味で轆轤町(ろくろちょう)という町名だったのだ。松原(旧五條)通がこの町にかかったあたりを「ろくろのつじ」と呼んだのが、現在の「六道の辻」になったという。しかし、この話には、まだ裏がある。轆轤町に「轆轤挽き」が本当にたくさんいたかというと、そうでもないらしい。ここはかつて鳥辺野といわれた葬送の地の一角。髑髏(どくろ)が散乱していたため髑髏町と呼ばれたのが、轆轤町になったという説もある。どちらにせよ、冥界の入口であったことには変わりないのだ。

ところ 六道の辻(東山区東大路松原通西入ル)
交通 市バス「清水道」徒歩約5分