2002年7月1日 午後8時配信
洛東之章 其之弐
三年坂


 古代の日本には「サガミ(サガムイ/サノカミ)」と呼ばれる信仰があった。原始宗教の山岳信仰であり、いわゆる「山の神」のことである。日本で一番大きい山の神がいる国は、そのままサガミ(相模)という名になり、その山から流れるカムイノカワがあることから、現在は神奈川と呼ばれている。「サ」が海を渡った島は「佐渡」であり、このほかにも「サ」に関係した「若狭」「埼玉」などの地名や、「佐藤」「斉藤」などの人名は全国に数多い。これらが「サ」という音から来ていることは、漢字にほとんど意味がないことで、よくわかるはずだ。「サにアゲル(捧げる)」木は「サカキ(榊)」であり、葉は「ササ(笹)」という。「サ」の気付け薬は「サケ(酒)」であり、「サケ」を捧げる時には、「サケノナ(酒の菜)」や「サカナ(肴/魚)」を「サラ(皿)」に盛って共に捧げる。「サ」を拝む姿勢は「サオガム」といい「しゃがむ」の語源である。冬が終わって「サ」が宿り美しい花を咲かせる木を「サクラ(桜)」と呼んで尊び、「サツキ(皐月/五月)」には山の神が水田に降りてきて便宜を図ってもらえるよう「サノヨイヨイ」と田植歌を歌うが、町中では「サ」の機嫌が乱れて「サミダレ(五月雨)」が降る。山岳信仰を忘れた現代人でも、何かを始める時には「サァ、始めよう」と、まず、「サ」に呼び掛けることを忘れない。
 「サテ」、今日は「サカ」の話である。上代の日本語では、「サカ(坂/阪)」「サカイ(境/堺)」「サイ(賽/際)」は、すべて同じ語源であるという。「サカ」は「サ」の鎮座する山への入口であり、「サ」が「イ(居)ル)」場所が「サイ」であり、そこへ欲を持っても詣でる時に必要なのが「賽銭」である。だから「サカイ」である結界には、神以外の邪なるものたちも集まり魔界となる。(※結界=「洛中之章 其之参」参照)
 旧五條通(松原通)の「六道の辻」が冥界への入口であることは前回述べた。その「サイ」のさらに山際の「サイハテ」に、清水寺へ続くその「サカ」はある。清水の子安観音へ安産を祈願するものたちが、いつの頃からか「産寧坂(さんねいざか)」とも呼ぶようになったが、大同3年(808)に開かれた「三年坂」というのが、本来の名である。「二年坂(二寧坂)」は「三年の手前にある」からで、大同2年に開かれた訳ではないらしい。曰く、三年坂で転んだ者は三年以内に死ぬ。二年坂の場合は二年以内。これは迷信というより、単なる警告であろう。実際、この坂から転げ落ちたら大怪我ではすまない。
 それ以上に、古人が畏怖した目に見えぬ力が、この山や坂にはあったようだ。親鸞でさえ、この坂の先にある山を、釈迦が説法をしたというインドの「霊鷲山(りょうしゅぜん)」と重ね合わせたという。しかし、ここが畏れられたのは、やはり鳥辺野の「サイハテ」であったことにほかならない。現在は京随一の観光スポットだが、この「サカ」より先は、人ではなく鬼や妖怪といった「まつろわぬもの」たちの葬送地であったという。今では跡形もないのだが、平清盛に憑いた怪鳥・鵺(ぬえ)を葬った塚が、大正までは、この坂の崖にあったそうだ。

ところ 三年坂/二年坂(東山区・清水寺参道)
交通 市バス「清水道」徒歩約3分