2002年7月4日 午後3時配信
洛中之章 其之六
五條大路 下巻


 前回「この橋に、弁慶のような大男に仁王立ちされたら…」と記したが、それほどドラマチックな想像をたくましくさせるロケーションだということであり、実は、五條橋で義経と弁慶が出会ったのというのは後世の創作話らしい。『義経記』を見る限り、武蔵坊弁慶が千本目となる最後の1本の太刀を「今夜の御利生によからん太刀与えて賜び給へ」と誓願したのは、現在、西洞院松原にある「五條天神」であり、そこへ現れたのが牛若丸だったという。これにしても、幼少期を鞍馬で過ごしたといわれる義経が、鞍馬の僧兵姿の弁慶と、はたして初対面だったのかどうかという疑問は残るのだが、とにかく、『義経記』に「五條橋」は登場していない。
 天神といえば、今や菅原道真の代名詞となっているが、「五條天神」は、平安京造営に際し、桓武天皇が空海に「天神(アマツカミ)」を勧請させた「天使の宮」であり、京都で最も古い神社のひとつである。一寸法師伝承のもとになった「小さ子」こと「少名彦命(スクナヒコノミコト)」を祀る神社だが、なにかと義経とは因縁の深い場所である。『義経記』によると、奥州へ籠もったはずの義経は、密かに京に舞い戻り、鬼一法眼が蔵する兵法書『六韜(りくとう)』を盗もうとしている。この鬼一法眼なるものが、活動の拠点としていたのが「五條天神」である。「鬼」とつく名は、安倍晴明以降の陰陽師の通り名であり、鬼や式神の子孫、または、それらを操る者を指すという。室町時代に至っても、「五條天神」が陰陽師らにより管理されていた五條結界ラインの中心であったことがうかがえる話である。
 「五條天神」から二筋東の「道祖神社」も、かつては同じ境内にあったと考えられる。ここに「道祖神」つまり「賽(サイ/サエ)の神」を祀ってあることから、これまでお伝えしてきた通り、五條が平安京の結界であったことがご理解いただけるだろう。小さな祠だが、ここもなにかと伝説が多く『宇治拾遺物語』の第一話が、ここに住むという「塞翁」の話である。読経の名手といわれた道命阿闍梨という高僧がいた。実は相当な好色坊主で、和泉式部の愛人であったという。ある夜、式部と共寝した後で読経していると、明け方近くに人の気配を感じた。「誰だ」と尋ねると「西洞院松原の斉の翁です」と言う。「あなたのお経は、普段、梵天様や帝釈天様など尊い方々が拝聞していて、私のような賎しい者は近寄ることもできません。しかし、今日は、あなたが女と交わって読経されたので、私のようなものでも拝聞することができました」とうやうやしくのたまったそうである。絶句して紛糾する道命と、好色そうにニタニタ笑いながら礼をいう翁の姿が想像できるユーモラスでエロチックな物語である。

ところ 五条天神(下京区西洞院松原)
    松原道祖神社(下京区新町松原下ル)
交通 市バス「西洞院松原」から五条天神はすぐ
    松原道祖神社は徒歩約2分