2002年7月10日 午後9時配信
洛中之章 其之七
鐡輪の井戸


  旧五條大路こと松原通から堺町通を南へ下がった路地の中に、その小さな井戸はある。「命婦稲荷大明神」の小さな祠の横にある「鐡輪(かなわ)の井戸」。ここは、日本で最も有名な民間呪詛法「丑の刻参り」発祥の地とも呼べる場所である。
 陰陽師・安倍晴明が登場する能の謡曲『鐡輪』は、こんな話である。浮気性な夫に捨てられた嫉妬深い女が、夫の心を引き留ようと、夜な夜な、深泥池(みどろがいけ/みぞろがいけ)を越え、鞍馬街道を縁結びの神を祀る「貴船の宮」へ通っていた。やがて、託宣があり、「鐡輪(鉄輪=かなわ。三本足の五徳)」の足に蝋燭を灯し、それを頭上に載せろという。更に、顔と身体を丹(に=赤土)で朱塗りにして、怒りの心を持てば、願いは叶うという。「緑の髪は空さまに立つや黒雲の雨降る風と鳴る神も、思う仲をば離(さ)けられし、恨みの鬼となって思ひ知らせん」と、夜叉と化した女は、夫だった男と後妻の女を呪い殺そうとするのだが、晴明によって祈祷された人形を夫だと思ってしまい、追い払われる。
 この謡曲の原本になったのは『平家物語』の『剣の巻』にある話だという説もある。時代は、晴明より後だが、こちらには晴明は登場しない。女は陰陽師に邪魔されることなく本懐を遂げ、浮気をした男と女、さらにはその縁者をも呪い殺し、最期は宇治川に身を投げ「橋姫」になったとある。どちらにせよ、その時代には、既に「丑の刻参り」の原型が出来上がっていたということと、女の執念が時代を超えて恐ろしいものだということがうかがえる物語である。
 宇治川ではなく、本懐を遂げることができなかった女が身を投げたのが「鐡輪の井戸」だったという話もある。また、そうではなく、この女と男が夫婦でいた時に住んでいたのが、この井戸のある場所だったともいわれている。以前は「鐡輪町」と呼ばれていたこの井戸一帯。江戸の初期頃からは「鍛冶屋町」と改められたが、この井戸の水を別れたい相手に飲ますと願いが叶うという伝承はまことしやかに信じられてきた。現在、この「縁切りの井戸」は、「縁結びの神」を祀るという「命婦稲荷大明神」と合祀され、「鐡輪」ならぬ「金網」が張られているが、昭和10年(1935)に整地を行った際には、この地から古い「鐡輪」が発見されたそうである。

ところ 鐡輪の井戸(下京区堺町通松原下ル鍛冶屋町)
交通 市バス「烏丸五条」から東へ徒歩約4分
    市バス「五条高倉」から堺町通を北へ徒歩約4分