神話の時代の後、平安時代になってからは、貴船は神や宇宙人ではなく鬼の国として語られるようになった。9世紀後半の物語である。中将定平は、鞍馬のさらに奥の岩屋、つまり貴船に住む鬼の国の美しい姫君と恋に堕ちた。しかし、それは身分の違う叶わぬ恋であり、定平と契った鬼姫は、生け贄の刑に処され、鬼王の餌食となった。処刑される前に、鬼姫は縹(はなだ)の紐をちぎって定平に渡した。その後、定平の叔母が、北の葬送地・蓮台野で、生まれて間もない女の子を拾い、この子は定平によって育てられることになった。彼女の左手は固く握られたままで開くことがなかったのだが、13歳の春、ついに開いた手の中には、鬼姫の形見の紐が握られていた。この娘は鬼姫の生まれ変わりだったのだ。定平の喜びは限りなく、二人は夫婦となり、末永く幸せに暮らしたという。この恋物語が、貴船神社の本地となり、貴船は縁結びの聖地として知られるようになったのである。
しかし、この恋物語にみえる恋愛成就法は、自らの命をなげうってまでも、思いを遂げるという鬼の祈祷術であり、決して生易しいものではない。そのことを今に伝える証拠として、貴船地方には、今でも「舌」という奇妙な苗字が残っている。舌氏は、明治維新までは神官の家柄だったそうだ。柳田国男などの説では、体の一部を現す言葉の姓は、自らを傷つけ神に仕えた家柄の苗字だという。つまり、舌氏は、舌を抜き取って貴船の神に捧げた鬼の末裔ということになるのだが、あまりおどろおどろしい紹介の仕方はしたくない。筆者は舌姓のあるご老人に、以前、とても親切にしていただいたことがあるからだ。
貴船は命がけの恋を祈願する者たちにとって、その願いが断たれた時、その怨みや、恋路を邪魔した者への怒りを晴らす場所となった。貴船は呪詛信仰の聖地となり、「鐡輪」に代表される丑の刻参りが行われたり、冒頭に紹介した錯乱した絵馬がかけられたりする場所になってしまったのである。しかし、そのような呪詛祈願をする前に、もう一度、自分を見つめ、考え直して欲しい。その上で、まだ、自分の命と引き換えにしてまで、人を呪うという覚悟があれば、貴船の鬼はあなたの願いを聞き入れるかもしれない。しかし、貴船の霊力は、本来、人を呪ったり、怨んだりするためのものではない。あなたが、貴船で心地の悪い霊気を感じたとしたら、それは山の霊気ではなく、人間が置き去った邪気であり、あなたの心の邪なる部分が、それに同調しただけだと知っていただきたい。
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