2002年8月6日 午後5時配信
洛北之章 其之弐
貴船


 川床のシーズンになれば、涼を求めて、狭い山道に大型観光バスまでが入り込んでくる貴船。「自然のクーラー」とは、もはや使い古された表現だが、貴船の谷間には、山からの冷気と霊気を孕んだひんやりとした風が真夏でも吹いている。「霊気なんか感じるものか」という人でも、貴船神社奥宮の絵馬に書かれた「〜を呪い殺してください」「〜と〜が別れて、〜が死ねばいいのに」「〜に天罰を与えてください」などという言葉を読めば、ぞっとした寒気を感じるに違いない。今でも、京都市内にありながら携帯電話も通じない寂しいところだが、和泉式部や「鐡輪(洛中之章其之八)」の時代から、ここにある強い霊力を求めて人々はこの山奥に足を運んだのである。
 「貴船」という地名は、5世紀初頭、玉依姫(たまよりひめ=神武天皇の母)が、浪速から「黄船」に乗って、淀川、鴨川、さらにその上流の川を上って、この地に到着したという故事に由来している。現在の貴船神社本殿から、貴船川を100mほど遡ったところにある奥宮が本来の本殿であり、ここには「黄船伝説」を伝えるミステリアスな「船型石」が祀られているのだが、この伝説を信じることは難しい。北の険しい峯々から急勾配で流れる鴨川を舟が上ったという史実は、この伝説の後にも先にも存在しないのである。ましてや貴船川は小さな滝を作りながら流れる険しい山川であり、黄金に輝く貴族の豪華船が航行できるはずがないのだ。そこで「黄船」を「光を放つ宇宙船」だとして、UFO説を取る人もいるのだが、どちらを信じるかは、あなたの自由だ。

 神話の時代の後、平安時代になってからは、貴船は神や宇宙人ではなく鬼の国として語られるようになった。9世紀後半の物語である。中将定平は、鞍馬のさらに奥の岩屋、つまり貴船に住む鬼の国の美しい姫君と恋に堕ちた。しかし、それは身分の違う叶わぬ恋であり、定平と契った鬼姫は、生け贄の刑に処され、鬼王の餌食となった。処刑される前に、鬼姫は縹(はなだ)の紐をちぎって定平に渡した。その後、定平の叔母が、北の葬送地・蓮台野で、生まれて間もない女の子を拾い、この子は定平によって育てられることになった。彼女の左手は固く握られたままで開くことがなかったのだが、13歳の春、ついに開いた手の中には、鬼姫の形見の紐が握られていた。この娘は鬼姫の生まれ変わりだったのだ。定平の喜びは限りなく、二人は夫婦となり、末永く幸せに暮らしたという。この恋物語が、貴船神社の本地となり、貴船は縁結びの聖地として知られるようになったのである。
 しかし、この恋物語にみえる恋愛成就法は、自らの命をなげうってまでも、思いを遂げるという鬼の祈祷術であり、決して生易しいものではない。そのことを今に伝える証拠として、貴船地方には、今でも「舌」という奇妙な苗字が残っている。舌氏は、明治維新までは神官の家柄だったそうだ。柳田国男などの説では、体の一部を現す言葉の姓は、自らを傷つけ神に仕えた家柄の苗字だという。つまり、舌氏は、舌を抜き取って貴船の神に捧げた鬼の末裔ということになるのだが、あまりおどろおどろしい紹介の仕方はしたくない。筆者は舌姓のあるご老人に、以前、とても親切にしていただいたことがあるからだ。
 貴船は命がけの恋を祈願する者たちにとって、その願いが断たれた時、その怨みや、恋路を邪魔した者への怒りを晴らす場所となった。貴船は呪詛信仰の聖地となり、「鐡輪」に代表される丑の刻参りが行われたり、冒頭に紹介した錯乱した絵馬がかけられたりする場所になってしまったのである。しかし、そのような呪詛祈願をする前に、もう一度、自分を見つめ、考え直して欲しい。その上で、まだ、自分の命と引き換えにしてまで、人を呪うという覚悟があれば、貴船の鬼はあなたの願いを聞き入れるかもしれない。しかし、貴船の霊力は、本来、人を呪ったり、怨んだりするためのものではない。あなたが、貴船で心地の悪い霊気を感じたとしたら、それは山の霊気ではなく、人間が置き去った邪気であり、あなたの心の邪なる部分が、それに同調しただけだと知っていただきたい。


ところ 貴船 (左京区貴船)
交通 叡山電鉄「貴船口駅」