阪神大震災を教訓に、2002年全国で初めて「環境防災科」を設置した兵庫県舞子高の諏訪清二教諭が15日、大阪市内で開かれたプレスクラブの例会で講演しました。
阪神大震災を教訓に、2002年全国で初めて「環境防災科」を設置した兵庫県舞子高の諏訪清二教諭が15日、大阪市内で開かれたプレスクラブの例会で講演しました。
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「
訪問した当初は生徒達は、もたもたして何から手伝っていいか迷っていました。他のボランティア活動家たちの積極的な活動を見て、気遅れしたものです。
しかし、時間の経過と共に、身体が自然に動き出し、邪魔もの?扱いに思えた生徒達が自ら被災者に声を掛け、作業の優先順位が分かってきました。貴重な体験をさせて頂きました。
関西に戻った後、被災者と継続して連絡を取り合うなど、自ら考え、行動する生徒も出てきました。大変喜んでいるところです。
今後も、生徒達にボランティア活動の場を与え、身体で覚えることを学ばせてやりたい。この子とが大切だと思っています。
」
筆者質問
今日の話の中に、心のケアについて少々触れられました。私も現地へ幾度となく足を運んでいます。私は戦災で焼け出され、火の中を逃げ回り、日頃訓練したことが何の役にも立ちませんでした。中でも、多くの死体を見、同級生の多数を亡くし、その後遺症?からか、今回の震災の惨状を見、今になった戦中逃げ回ったことを夢見ることが多くなってきました。心のケアと一言で片付けられない複雑にして、多面的です。震災の心のケアについて、如何に考え、何をもって教育に生かせていかれるのか。
「日頃から、自分たちは何月何時被災に会うか分からない。皆が未災者であることを自覚することだと思う。人に寄り添い、痛みを共有する気持ちを育てていきます。」
そう簡単なものではない。何を仰りたかったのか、全く理解出来ない。質問する方が意地悪だったのか・・・。
2012.3.15(村田)
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