桓武天皇が京都に平安京を築く際、その町造りを唐の長安に倣ったことは有名な話。都の中央に「羅城門(らじょうもん)」から「大内裏(だいだいり)」へ至る「朱雀大路(すざくおおじ)」が南北に走り、それを中心に碁盤の目のように道路が整備された。その一番東の端を南北に通る道が「東・京極大路」、ちょうど現在の寺町通りと重なる。中世には、戦乱によって衰退していたが、天正18年(1590)から始まる豊臣秀吉の京都大改造によって、道路が修復・再生。洛中に散在していた諸寺院が、この通りの東側に強制的に移転させられたことから、「寺町」の名がつけられたが、西側には多くの商店が軒をつらねた。数珠屋・位牌屋・石塔屋・仏師・書店・筆屋・楽器屋・人形屋・紙表具屋・扇屋・白粉屋など、宗教・文具・装飾関係の店があり、多くの人々を誘った。
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